2004.12.29

夕凪の街 桜の国/★★★

 平成16年度文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞受賞作。30ページの読み切り「夕凪の街」と、その登場人物の子や孫の現在を描く「桜の国」全2話62ページの2本。合計104ページの薄い本。

 昭和30年、広島。「原爆スラム」とあだ名される、復興計画によって自分の家を追われた人々が住む集落。平野皆実は小さな会社に勤める年若い女性。ごく普通に職場の男性に恋をし、日常のふとしたはずみにその男性と接近したとき、彼女はふと、自分が踏み越えてきた、ピカで死んだ死体の山を思い出す。あの日、彼女は確かにどこかの誰かに「死ねばいい」と思われた。そして生きるのに必死だったあの数日間で、彼女は本当にそう思われても仕方のない人間になってしまった。先立っていった父に、姉に、妹に申し訳ないから、のうのうと恋なんてしていていいはずはないから。しかし彼女は、その思いごと、好いた男に告げた。そして翌日、彼女は会社を休む。それからもう、彼女は立ち上がることが出来なかった。男がくれたハンカチを握りしめながら、夕凪が終わって、風が吹いたのが分かった。
物語のテーマが要請する骨組みに、かっちりはまっているとは思う。必要最低限の感動は与えられていると思う。一コマ一コマに書き込まれた、綿密に取材された当時の風俗と、広島生まれの作者による生きた広島弁と、戦争の悲惨さそれ自体を直接に描こうとせず、かといって隠蔽もしない、柔らかい手つき。評価されるに値する佳作だとは思う。

 もったいないのは、ここに何かあと一つでも、読者に涙を流させる、あるいは鳥肌を立たせる、決めゴマが、決めゼリフがあれば、ということだった。本来決めゴマであるはずのコマ、決めゼリフであるはずの台詞が、ギリギリの水準で、決めきれていないのだ。手つきの柔らかさこそが作者の良さでもあるのだろうが、それでももう少しだけ、あざとく、俺を泣かせて欲しかった。惜しい。良い作品だが、四つ星には届かなかった。

 小学校や中学校の図書室で「はだしのゲン」を読まなかった人には、是非読んで欲しい。戦争の悲惨さは、地に足の着いた描き方でしか伝わらないということが、よく分かる。

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2004.12.19

神無月の巫女/★★★

 最初に。俺は「介錯という作家」についてこの批評を書くが、あくまでも俺はアニメ版「神無月の巫女」しか観ておらず、言ってしまえば少年エース連載の方が完結したのかしないのかさえ知らない。そのことを明記することが免罪符になるとも思えないが、自分自身の言い訳というよりこれを読む人に公正な審判を望むという意味に於いて書く。そんな断りが必要だとしても、この文章を書かずにいられなかったので。

 なお蛇足かもしれないが、介錯は「ハラキリマンセブン」と「ハラキリマンレオ」という二人組のユニット(のはず)。恥ずかしながら、両人主催の同人誌は何冊か持っている。その頃から、安定した美少女の絵柄とギャグのセンス、そして元ネタの設定を十二分に読み込んだ、決してファンを裏切らないパロディの作り方、キャラの動かし方に、俺は同人作家としての介錯の、端的に言ってファンだった。

 最終回までを見終えての感想。良くも悪くも、介錯という作家の資質は同人作家であるということの外には出られないのだろうなぁ、ということだった。そしてある意味、彼らはそれさえも良しとしているフシがあることが、ある程度彼らの実力を認めている俺としては、若干悲しくもある。

 最終回は、良かった面と悪かった面とが混在していた。まず正直に言えば、千歌音が過去の日の巫女と月の巫女の因縁を明かすくだり、そして姫子が「千歌音ちゃん我慢してたんだね」と言うことで、強かった千歌音が泣き崩れる辺りでは不覚にも泣いてしまった。

 だけど。前回の最後で腹を刺し貫かれて、口から血を吐いてる人間が、それから20分間生きているというのはいかがなものか。しかも一旦「姫子、幸せにね」と微笑んでそっと目を閉じた瞬間、姫子の「待って千歌音ちゃん!」という叫びにすぐぱっちり目を開けて、「私を好きだと言ったのも嘘なの?」という問いに、逆にさっきよりも瀕死感のない演技でとうとうと語り始めるのには苦笑というより驚愕してしまった。

 そりゃ、最終回で驚愕の事実が次々に明かされることで怒濤のカタルシス、という展開は特に最近のヒットしたエロゲーなどには多い(つっても俺は奈須きのこものくらいしかやってないが)。でも、それを全部語らせるために瀕死の、しかしそれゆえにその瞬間もっとも美しく輝いているヒロインを、やっぱり大丈夫でした、と自力歩行までさせるのはルール違反。「さっきの俺の涙を返せ」と言いたくなった。

 そのあと。「生まれ変わるから!」「絶対千歌音ちゃんのこと見付けるから!」というやりとりはまぁどこにでもあるありふれたシーンなので、パクりとして云々することもないだろうが、さらにその後エンディングで、大人になった(少なくとも高校は卒業後のようだ)姫子が街を歩いていて、今までと全く変わらない姿の千歌音を見付けて抱き締めるところ。

 「生まれ変わる」のなら、子どもになって生まれてきてくれ。どうなってるのかさっぱり分からない。やっつけ仕事でもいいから理由付けは欲しい。「奇跡だ」というのなら、その奇跡がせめて起きる瞬間を見せておいて欲しい。きれいに終わってはいるけれど、介錯の頭の中にある、それまでに吸収してきた膨大なオタクメディアの知識の蓄積の中から「こう終わったらきれい」という「シチュエーションだけ」を取り出してつぎはぎしただけにしか見えない。

 もう一つ、これは「アニメの最終回」という制約から尺が足りなかっただけかもしれないが、これまでのオタクメディアでは「こうなったら次はこうなるのが当たり前」というようなシチュエーションでも、それ相応の盛り上げなり逡巡なり、要するに「溜め」があったはずだ。その溜めの時間によって、オタクたちはその与えられるべき気分、例えば悲しみなり燃えなりを高められる。

 でも介錯の場合、「この展開でこうなったら、オタクたちは泣くはずだ」という前例だけが頭にあって、必要十分な演出を配するよりも、先を急ぎすぎている感がある。介錯からすれば「結論の分かっているシーンなど描いていてもつまらない、これを描いたら読者は泣くから、必要な物語上の装置だけ描いたら先に行こう」という気分で描いているのだろうが、それではオタクたちは置いて行かれてしまうのだ。

 それでも俺がこの物語で泣いてしまうのは、俺が彼らと同じだけの「蓄積」を抱えているからに他ならない。だけど、じゃあ「蓄積」のある人間にだけ向けて創作が出来ればいいのか、といえば、それは究極的にノーでなければならない、はずだ。少なくとも俺はその立場に立ちたい。ハリーポッターだって、例えばあかほりさとるにもあれと同じ設定で同じ分量の物語を書く技術はきっとある。だけどローリングのそれがオタクを超えて(という言い方はちょっと恣意的すぎるが)全世界中に届いた理由は、「蓄積」の外にある人にも分かる書き方、を回転女史が選んでいるからに他ならない。

 ぽりりんには「それをしなくてもついてきてくれる人間は少なからずいるし俺はそれでおまんま食えるからいいんだもんねー」という、ある意味政治的な「計算」があるが、介錯にある計算が果たして「政治的」か、といえば、そうは決して思えないところに、つまり自発的な「俺オタクだからオタク的なもの描いていられれば満足」といった打算しか感じられないところに、俺は「あんたらはもっと出来るよ!」という嘆きを禁じ得ない。

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2004.12.10

わたしのグランパ/★★★

 BS2でやっていたものを観た。原作は筒井康隆の同名小説、監督・脚本は東陽一、主演の「グランパ」役は菅原文太、ヒロインである孫「珠子」役は、ポッキーのCMでおなじみ石原さとみ。2003年。

 中学一年生の珠子はいじめられていた同級生のマチ子を助けたために不良グループに目を付けられてしまう。時期を同じくして、殺人の罪で服役していた珠子の祖父が出所する。最初は距離を置いていた珠子だが、道端でたむろしていた不良グループを退治してくれたことをきっかけに祖父に好意を見せるようになる。が、楽しい日々もつかの間、ヤクザが周囲をうろつき始める。グランパは彼らに家を放火され殺された親友の仇をとるためにヤクザの事務所に殴り込み、そこで二人の下っ端ヤクザを殺してしまったのだ、とグランマから聞かされる珠子。ある日復讐のために誘拐された珠子を、グランパは手下を従え自動小銃を持って助けに来る。無事救出に成功したが、そのあとすぐ、川で溺れていた少女を助けるために飛び込み、引き替えに命を落としてしまう。男気を貫き通したグランパの葬儀には、クラスのいじめっ子も、退治された不良グループも、敵だったヤクザも、焼香をあげに来ていた――

 物語だけを取れば、筒井らしくもないほど実験性にも超常性にも欠ける優等生的な話(といっても原作は読んでいないのでひょっとしたら原作はもっと面白いのかもしれないが)。あとはもう、主役の菅原文太と石原さとみがどれだけ演技で見せてくれるか。ホントのことを言えばポッキーのポスターの石原さとみがやたらツボに入ったので観た映画だったんだが、二人ともホントにハマり役。

 文太さんが名優なのは言わずもがなだが、饒舌でありながらシャイで、無口でありながら雄弁、真面目でありながら飄々として、そして強く、正しく、ダンディ、という、あまりにもおいしいグランパのキャラを見事に演じきっていた。このキャラ、俺の歳じゃ書けないんだろうなぁ。欲しい。筒井先生、もらっちゃダメですか。

 対する石原さとみも、子役と女優の中間年齢、という一番鼻につきやすい年頃でありながら、真に迫った熱演を見せていた。顔はもちろん好みなんだけど、女優としても面白い、ということが分かったという意味で、収穫だったと言っていい。途中いじめっ子を相手にいきなりドスのきいた声で啖呵を切るシーンなんか、なかなか良かった。ヤクザに監禁されて椅子にガムテープで巻かれてるところで若いヤクザに身体をまさぐられそうになるシーンなんて、この歳で女優魂を見た、って感じ。全体に、演技臭くなく自然体なままでの少女らしい感情の振れ幅が心地よく見ていられた。

 ところで。主役二人の演技は良かったんだが、ストーリーとして、最後にその若いヤクザに触られそうになるところで、突然珠子の身体が椅子ごと起き上がっていくところがある。ヤクザは一人うろたえるだけで、それからカメラがひいていって、気が付くと珠子は椅子ごと宙に浮いている。理由は分からない。一番ぴったりくるのは、「珠子は実は超能力者でした」という解釈なのだが、そこ以外に珠子もそれ以外の人物も超能力など片鱗も見せてはおらず、あのシーンにはただ失笑以外出てこなかった。

 ラスト、グランパが死んだ、というくだりも、「川沿いを散歩するグランパ」「助けてー、と子どもの声」「シーンが替わって公園で写生している珠子(美術部)」という展開から、「あ、死んだのかな」という予感はあったものの、そこで死なせることの突拍子もなさに、感動もしようがない、というのが正直な感想だった。

 グランパのキャラの良さを印象付けて終わるためにまぁ死なせようというのはよくある手ではあるけれど、あるいは突拍子もないならばもうジョークの空気を漂わせて、珠子を救出して笑ってるグランパのアップがそのまま遺影に重なってお鈴が「ちーん」、みたいなのが常套手段として例えばある。そうすれば、「死んだ」ということを単純にそれ自体お涙ちょうだいの道具にするのではなく、「死んじゃったね」「そうだね」という乾いた空気の中で終わることが出来る。観客が自分の力でその「死」を噛み砕くだけの「間」が生まれることになるわけだ。客が涙を流すほど存分に悲しませられないのなら、中途半端な悲しみの演出(ショックを受ける珠子、悲しそうな絵、悲しそうな音楽の中の葬儀、悲しそうな参列者、一周忌の日に悲しんでいる珠子)などクサイだけだ。

 21世紀の今、ものを作るということは、「クサくなる」ということを巡ってどのように自分の立ち位置を決定するか、ということである。完全にクサいことを目指し「これはクサイ」と言われることで成立する作品群もあり、クサさを極力廃したハードボイルド的な作品群もある。しかしハードボイルドを標榜すること自体に生じるクサ味を気付いていない作り手と、それをどうやって消すかに細心の注意を払う作り手では明らかにレベルが違う。

 最後の最後で終わり損ねた映画。キャラが良かっただけに、もったいない。死なせなくていいと思ったんだけどなぁ。

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2004.12.04

華氏911/★★★

 レンタルビデオで借りて観ました。ちなみに一緒に見た大学の後輩(理系♂)は「意外と普通のドキュメンタリーだった」と言ってましたが、なかなかどうしてそこかしこに編集の妙があって、笑えるところは十分笑えました。それに、「この中で言われていることが全て事実だとして」かなり驚くような事実もありましたし。観て思ったことは、「とりあえず成人したアメリカ国民は全員これ観なきゃダメだな」ということ。

 ところで。じゃあこれを観た俺は、いったいどうすればいいのか。もっと単純に「どんな気分になればいいのか」と言われれば、「やっぱりブッシュが大統領はどう考えてもおかしいだろ」ということなんですが、だったらそれを知った俺はどうするのかって、どうすることも出来ないわけで。まぁそんなこと言ったら全ての映画はそうじゃないか、と言われそうですが、しかしこれはノンフィクションなわけで。

 例えば新潟で地震が起きた、というのを聞いたら、直接的には「じゃあ募金しよう」「ボランティアに行こう」だとか、「我が家が地震に襲われてもいいように非常食をそろえとこう」「応急手当の仕方を覚えよう」とか思えるわけで。「巨人がマジック1です」と言われたら、優勝が決まるであろうドームのチケットを取ってヤフオクで売ればいいわけで。小泉さんが「総理大臣として靖国神社を参拝しに来ました」と言ってたのを聞いたら、最終的には「じゃあ俺は次の選挙では民主党に票を入れよう」と思えばいいわけで。

 だけど、ブッシュがアメリカをどこに導こうとも、俺たちには手出しすることが出来ない。なのにそんな日本でさえこれだけヒットしたのは、結局(事の是非は抜きにして)事実上アメリカが世界のリーダーである、ということを日本人もちゃんと思ってしまっている、ということなんだろう。そして恐らくこれを観た人の9割以上は、「ブッシュダメじゃん」と思い、たぶんその半分以上は、「アメリカ人てなんでこんなブッシュなんか選んでんの?」という気分になったはずで。そのさらに半分は、「アメリカ人は自分たちが悪に打ち克つ正義の中心なんだと思いたいんだろうなぁ」と、何度も言われ続けたアメリカ人の心性を思い返しただろう。

 そして結局俺のようないち物書き志望者に出来ることは、日本人に生まれたことを改めて喜び直しつつ、日本的な心の良さを噛みしめて、それを描く小説を書いていくことだったりするのかなぁ、と。

 どこまでいってもアメリカ人は日本人にとっては他者で、他者との差異は自己を見詰め直す絶好の契機になる、という、なんだか奇妙に抽象的な感想だけが残った、そんな映画でした。

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2004.11.28

座頭市/★★★

 この映画を見終わったあとの気分を、どう表現していいのかさっぱり分からない、というのが正直な感想。退屈だったか、といえばそうではなかったと言っていいが、ではスリリングだったか、といえばそうでもなく。感動はあったかといえばそんなものはなかったし、爆笑はあったかといえば、せいぜいクスリ、といった程度。たけし演ずる「按摩さん」が、実は目が見えた、というどんでん返しも、「あ、そうくるのか」というある程度の驚きはあったものの、それだけ。それが物語上何にも影響していない以上、ただ「ふーん」としか言いようがない。

 ただ言えたのは、酒屋での浅野忠信とたけしのファーストコンタクトは、死ぬほどかっこよかったということ。日本的なハードボイルドの美学は、身震いするほどではあった。そして、有名になりすぎたタップシーンはどうでもいいが、その前にあった、例えば焼け落ちた家の再建の際の大工たちの奏でるパーカッションや、オープニング直後の百姓たちの鍬の音のセッション。楽しさという意味では、間違いなく「楽しかった」と言っていいシーンではある。

 でも結局。シーン、シーン、シーン、どこまでいってもシーンの良さであり、それが絶望的に物語に結び付いていないところに、僕が受け取れる感動の限界もまたあった。こういう、なにがしかの美学、あるいは新しさ、あるいは感情のようなものをただ作品の中で提出することを目的とした作品を、僕は「提出の野望」と呼ぶが、そのためにはあまりにも冗長であった、というのが端的な感想。提出の野望を文学に昇華できるのは、せいぜい50枚以内の短編小説だ、というのが僕の持論だ。

 同じ北野作品なら、僕はHANABIをオススメする。

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2004.07.05

低俗霊DAY DREAM 深小姫のMIDNIGHT DREAM/★★★

 オープニングで「あんたそんなことばっか言ってるから『ちょこん』なんだよ」って女王様の台詞がありましたが、巨根の対義語の「ちょ根」のことですか? 新プレイ開発事務局は今日も「糸電話プレイ」で一回「ズキューン」、もう一つはプレイの名前だけ言って内容全部「ズキューン」だったんでもう何プレイだったか覚えてません。あとプレゼントのお知らせで「ハガキにキーワードを書いて応募して下さい」っていうキーワードをますみんが考えてましたが、3回「ズキューン」出された挙げ句、最後にOK出たのが「ギャグボール」。あー、相変わらずだなーこの番組。アニラジゾーンなのに聴き方のノリが伊集院だもの。あんまメジャーじゃないOVAが元のラジオだし、二週に一回なんて中途半端な放送だし、ホントに吹けば飛びそうな番組なんで、こんな影からですが番組存続を祈ってます。あと本能寺が熱かったのは京都が盆地だからではなく、明智光秀に火を放たれたからです。ますみんマジボケ。

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2004.07.04

マリア様がみてる〜春〜/第一話「長き夜の」/★★★

 帰ってきましたマリみてアニメ。初回なんで詳しく書きます。

 まずエピソード選びから。このマリみてのスタッフは、ホントに2ちゃんか何か見てるとしか思えないチョイスをしてきましたね。だって明けましておめでとうのエピソードから始めるって、第1シーズンの生徒会選挙(ロサカニーナ)とかヴァレンタインデーとかその辺より前の話を無理矢理回想ってことで挟む力業。だいたい今回「春」の話じゃないじゃんみたいな。

 で、この「なかきよ」は、結局何が言いたい話だったのかというと。原作では、まず祐巳を連れて二人きりで神社に初詣に行くロサギガンティアを書いて「白薔薇さまの祐巳ちゃん大好きっぷり」を書いて、あとは祥子さまの自宅に押しかけて「祥子さまのお嬢様っぷり」を書いて、でもって柏木優が祥子さまの家のこととか祥子さまの寿司ネタの好みとかを祐巳なんかより全然把握してて、それで「祐巳が柏木に嫉妬の炎メラメラ」、で三人川の字で寝るところで、ロサギガンティアと祐巳が楽しげにじゃれてるところで「合宿っぽさ」を出して、そこへ同性愛者の柏木に襲われかけた祐麒が祐巳たちの部屋に逃げ込んでくるところで「柏木x祐麒」の図を明確にして、最後は「祐巳、遊びに来てくれてありがとね」で締め。

 これがアニメになると、どれもこれも中途半端。そもそもある意味で「長き夜の」は柏木優の話なのに、そこの掘り下げが「同性愛者」という事実を大っぴらに書けない(単なる自主規制?)ことで中途半端になってる。「祐麒x柏木」という今後のストーリーに中くらいに関わってくる事実も書き方は遠慮しぃしぃだし。結局今回の「なかきよ」をなんで第2シーズンの頭に持ってきたのか、何の話だったのか、よく分からなくなっている。

 たぶん、普段と毛色が違う柏木の話、あるいは何の問題も起きない楽しい日常としてのエピソードとしてファンの印象に残っていたこの「長き夜の」が、アニメ化に当たって「事件が起きなくて面白くない」という理由でカットされたことで2ちゃんねる始め個人の感想サイトなどに「原作ファンを無視してる」なんて格好の叩きの材料になってしまって、その分かりやすく要望を汲みやすい苦情に答えることでその苦情を書いてる原作ファンたちをなだめすかして取り込もうと作ってみた話、でしかないんだろう。で、時期的には「春」のシリーズでやるには過去の話になってしまってるから、「回想シーン」ということでなんとか無理なく挟める第一話に持ってきた、と。

 あと文句といえば、第1シーズンで柏木優がギンナンの上で思いっきりこけて「ギンナン王子」の称号を得るシーンが描かれていないせいで、柏木優が原作ファンの中で広く浸透した理由である「ギンナン王子」の愛称を今回も使えないでいるところ。むしろこれからの重要人物の一人になる以上、この「なかきよ」に無理矢理ギンナンのエピソードを挟んで後付けで「ギンナン王子」にしてしまうのかとも思ったが、それもなし。

 あと原作との違いと言えば、祥子さまの家に山百合会メンバーが勢揃いしていたところですが、実際あれだけの数のメンバーの顔と名前と役職と人間関係を、たったあれだけの紹介で初見で把握できるヤツなんていないわけで、無理矢理原作曲げなくても、まず第一話では祐巳と白薔薇さまと祥子さまだけ紹介しとけばよかったんじゃないか、とも思ったり。

 ところで第1シーズンには参加してなかったアニメーターの中嶋敦子が参加してますね。CM入りのアイキャッチとエンディング作画。正直あの人の絵柄はクセがあってあまり好みじゃないんですが。今回も、五割増しでロリっぽくなった祐巳はまだいいとしても、一気に高校生っぽくなくなった祥子さまはどうかと。

 ま、今回の件に関する不満は、無理矢理昔のエピソードをシーズンを越えて挟んだせいで生じたアレンジ上のマイナス点で、これから普通の時間軸に乗れば自然と解決してくるものとも思えますし。それにそもそも、原作との比較、という観点ではなく30分の一本のアニメとして見れば★三つあげてもいいくらいの出来ではあったと思います。毎週日曜日を楽しみにするのも間違いないし、たぶん毎週こんな長ったらしい感想、批評も書くつもりです。

 あとはオープニングテーマ。作詞・今野緒雪、歌・宝野アリカ(ALI PROJECT)の「pastel pure」歌詞入りバージョンは個人的にはかなりアリ。原作者を大切にする姿勢は評価したいですね。

 ついでに一つ。マツケンサンバは? あれはどうなの? なんていうか、びっくりしたとしか言いようがないですが、マリみての視聴者層と合ってるとでも思ってるんでしょうか。まぁごく一部ではガッチリ合ってるんでしょうけども。

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2004.06.11

恋風/第8話「露霜」/★★★

 地上波では放送されなかった、アニメ専門CSチャンネル・キッズステーション独占放送の幻の第8話です。読みは「つゆじも」でした。

 原作未読の俺の事前予想では、「七夏乳首が出る」もしくは「耕四郎がぱんつくんくん以上の変態的行為に走った」ために地上波で放送出来ない内容になり、やむを得ずCS独占放送となった、という読みだったんですが、まぁよく考えたら第一回放送の時点で第8話の扱いは決まってたわけで、やむを得ずもクソもないですね。

 で結論から言うと、「耕四郎里帰り」の話でした。つまるところ、「七夏がほとんど出ないから人気も出なそうだし、七夏が出ない以上二人の関係の進展という意味でも特に劇的に進歩がある回でもないから地上波ではいいや」というわけで、視聴率重視、もしくは番組編成重視のテレビ朝日と原作の展開重視のファンの間を取る形でCS独占放送が決まったんでしょう。

 とはいえ、内容は全然悪くなかったですよ。今まで出てこなかった、別れた耕四郎の母が登場。耕四郎は「何かあったの?」と訊かれても言うに言えず。母の元で暮らしていた頃の七夏の「お兄ちゃんてどんな人なのかな」的な様子を母から聞きつつ、七夏がまだ赤ん坊の頃、一緒に暮らしてた頃に渋々面倒をみてやってた頃を思い出してちょっと和み、「なぁ、俺が七夏を不幸にしたらどうする?」「承知しないに決まってるじゃない」なんとなく「仲良くやらなきゃ」とふっきって家に帰る。

 誰かにアドバイスされたから「じゃあこうしよう」なんて気軽に方向転換出来るほどの軽い気持ちじゃない。だからこそ、大事なのは誰よりも七夏自身だと気付いて、今までよりちょっとだけ大事にしてやろうと決めた耕四郎。出しゃばりすぎず、ただ方向の微調整だけをしてあげられる、できた母親。こういう大人のやりとり書きたいなぁと思うんですけど、俺が書くとそもそもそういうシーンにならなかったり。ああ、修行だ。あとよちよち歩きの頃からお兄ちゃん大好きの七夏もかわいかったです。この挙動不審な感じはアニメの独壇場でしたね。センスあるよなぁ。

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2004.05.31

D.Gray-man/第1夜「opening」/星野桂/★★★

 週刊少年ジャンプ新連載。星はあくまで第1話時点で。絵柄、コマ割り、台詞のセンスはしっかり合格点。キャラ作りに関してだけ、あと一歩「光る」ものが各自に欲しい。「かっこいいっぽい」台詞は吐かせているが、どうにもまだ「ただきれい」なだけ。そのキャラならではの、他のヤツには決して吐けない(と読者に思わせる)台詞が出てくればぐっと良くなるだろう。

 ところで、このマンガの当面の物語を進める推進力となるであろう「悲劇」という概念について。関連として、「戦闘美少女の精神分析」で名を売ったオタク系精神科医、斉藤環の「心理学化する社会」という近著に、トラウマに関する考察がある。一口で言えば、「近頃の物語はトラウマを扱ったもので溢れている」ということ。

 これを斉藤氏のように「世相」という横糸を設定して語ることももちろん出来るのだろうが、俺としてはこの「心理学化」が主にオタクメディアで起こっていることに注目する。というか結局、96年、97年のリーフのビジュアルノベル3部作「雫」「痕」「To Heart」辺りから、エロゲーにも「エロ」と「萌え」だけでなく「泣き」という要素が見出されるようになってきた。

 それは世相がどうとかではなく、ただ「感動」という、今まであまりエロゲーでは味わったことのないタイプの快楽を刺激されたオタクが、「泣けるゲーム」=「良いゲーム」というインプットをされたということではないか。ちょうど同時期、「エヴァンゲリオン」という現象によって、「重い物語」「過去に規定される主人公/ヒロイン」は「強いインパクトを残す」≒「面白い」という図式がまず「受け手たるオタク」の間で形成された。

 その「エヴァ」と「マルチ」に洗礼を受けたオタクたちが「送り手」の側に立った時、「オタクたる送り手」たちの引き出しには、「トラウマ」という感動の装置が象徴的に発見された。当時の風潮としても、「軽いノリでひょんなことからクラスメイトと次々Hな関係に」的な従来型の抜き重視エロゲーと対比される形で、「重い」お話=「シナリオ重視の意欲作に仕上がっているぞ」という評になり、この時点でほぼ「受け手=送り手=オタク」であった市場ではそのような価値観が形成されてしまっていた。

 ドラマツルギーの面では、乱暴な言い方をしてしまえば「感動」とは「振れ幅」である、という言い方がある。不幸な人間が幸福になる、というのがハッピーエンドの基本構造だ。その出発点の「不幸」に、主人公やヒロインそれぞれの生い立ちに関わる「トラウマ」を用意する(「痕」、「Kanon」、「月姫」など、「8年前の系譜」と呼ばれる現象である)ことで、「本人は悪くないのに特定の原因ゆえに不幸な状況に置かれている」という同情(=感情移入)されやすい状況を設定し、それを解決することでカタルシスとする。あるいは「主人公」である「プレイヤー」に、ヒロインの「トラウマ」に立ち入り、これを解消させる役を与えることで、「エロゲーの主人公」としての役割であるところの「女の子の困難を解決してあげることで心を許させ、セックスをする」という結論を担わせることができる、という方程式が成り立つ。

 このようにして、「一つのビッグヒット」というメルクマールから、オタクメディア内では「受け手である送り手」であるオタクが相互に影響を受け合い、「売りたいから作る」を前提としながらかつ「オタクたる自分が見たいものを作る」という特有の立ち位置によって、作劇のメソッドを「泣きというジャンル」として確立させていく。そもそも「萌え要素」というものの中に「巫女さん」「メイドさん」が並んでいるように、「オタク受けする物語要素」の文脈の中に「泣き」もまたあるのだ。だから「メイド」なんて文化が無かった日本にメイドものが流行っているこの現状と、心理学化するオタクメディアは、割ときれいな相似形なのではないか、なんて単純に思えたりもするのである。

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2004.05.18

集英社ドラマCD「マリア様がみてる」/★★★

 コバルト文庫・今野緒雪「マリア様がみてる」第1巻のストーリーを、TVアニメシリーズの声優陣が完全ドラマCD化。TVアニメ版では1〜3話、漫画版では第1巻、要するに祐巳が祥子さまからロザリオを受け取るまでのお話。物語の詳細は省きますが、要するに「お嬢様学校に通う普通の高校1年生の主人公が憧れの上級生と特別な関係になる話」ですね。原作者公認の「ソフト百合」です。以下、原作既読者を対象にしたネタバレ感想ですのでご注意を。

 で。感想を一言で言うと、非常に「惜しい」です。良いところはとても良かったんです。2巻を買った時に、2巻を聴く前に1巻を聴き直してみたんですが、最後祐巳が登校した直後にクラスメイトに囲まれて「祥子さまをフったって話、どうなの?」って訊かれて、「祥子さまが私なんかを本気で妹にするはずないじゃない」と泣き出す場面では俺もホントに泣いてしまいました。

 その他のシーンも、アニメと違って画が無い分、役者たちも自分の感情、自分の間で思い切り演技が出来て、それが良い方に効果を挙げています。もちろん祐巳役の年の若い植田は微妙に間が取れなくて先走ってるところもありますが、それも許容範囲。逆に祥子さま役の伊藤美紀(40代)の声が女子高生に聞こえないとか、祥子さまの完全無欠のお嬢様言葉のニュアンスを完全には把握しきれてなかったりとかありますが、それもまだ許せる。

 あと個人的にはロサギガンティア、豊口めぐみの演技がアニメの時からツボです。「遊び」みたいなものが的確に表現出来る人ですね。ジャンルで言えば、ゲームソフト「リンダキューブ」で本領を発揮した高山みなみとか近いでしょうか。「鋼の錬金術師」のウィンリィみたいなキャピキャピした役が多い印象がありますが、こういった役も是非色々演って欲しいです。

 では何が「惜しい」のかといえば、まず軽いところでは山百合会以外の声優陣の喋りがだらだら長いこと。画がないことの功罪ですかね。山百合会の薔薇さま方は貫禄とか含みとかいう面で多少落ち着いた喋りの方が合うんですが、一般生徒まで同じペースだと間延びするし、日常会話として聴いてても不自然。

 そして強く感じたのが、原作からの脚色の仕方が「惜しい」。この「マリみて」という作品に於ける感動のツボは心得てるつもりでいると思うんですよ。それに実際TVアニメ版に比べれば全然的確。前述の祐巳が泣くシーンも、そこで感情が昂ってついには泣いてしまうまでの心の動きを祐巳のモノローグでしっかり描いていて、しかもそれがくどさを感じさせない。

 でも、惜しかったのは2巻に入ってから。まずは銀杏の林になっている講堂裏でお弁当を食べている祐巳に祥子さまがシンデレラの台本を渡しに来るシーン。志摩子さんが「あの方、ギンナンお嫌いだから」と言った後、「男嫌いで同情されるのが嫌い、桜が嫌いでギンナンが嫌い」と言うのは、こともあろうに蔦子さん。そこ違うんだってば! 祥子さまの嫌いなモノを一つ一つ挙げていくのは祐巳じゃなきゃいけなくて、それには好きな人の記憶を一つ一つ指折り思い出す、恋する乙女の一人遊び感が含まれていなきゃ嘘なんだってば! でもって最後に、「そんな場所にわざわざ台本を蛍光ペン入りで届けてくれるなんて、似合わないことをしてしまう祥子さまは、やっぱり格好いいんだ」って言わせることで、「片思い相手の男子が体育の時間に活躍すると恋人でもないのに我が事のように女友達に自慢してしまう少女」のようなちっちゃくて微笑ましい自己満足感が描かれないといけないんです。

 あとは具体的な事実の齟齬。音楽室に迎えに来たついでに連弾を始める祥子さま、口でとるリズムの「1、2、3、4」と実際のピアノ演奏のテンポが全く合ってません。あと、薔薇の館の二階で白薔薇さまに「藁しべ長者」って言われたことについてぶーたれる祐巳すけ、残念ながらドラマCD版の聖さまは「藁しべ長者」の台詞は言われてませんから。

 若干期待していた「おのれ柏木、両刀だったか」の台詞が無かったのもちょっぴり残念。ホモキャラを設定すること自体は許されるのになんで「両刀」という単語はTVでもドラマCDでもNGなんでしょうか。漫画版ではきっちり言ってるのに。あと今後のシリーズを通して柏木のキャラ付けとして重要なはずの「ギンナン王子」誕生のくだりがきっちり端折られてたのも無念。

 アレンジの仕方で一番異を唱えたかったのは「マリア様の心」の歌詞の一節「サファイア」に関するコメント部分。最初に祐巳が「なんでサファイアなんだろう」と異を唱える部分は原作では地の文に混ぜられたモノローグだったけど、それが部外者である柏木との雑談の話題に変わっている。まぁ音声中心のドラマCDならではのアレンジで、それ自体はいい。でも、好青年好青年好青年で押している最中の柏木が「ううん、別に違和感は感じないけど」なんてにべもなく否定するか? もう少しやんわりやらないと「伏線だよ〜」ってのが意識されすぎて不自然になる。

 で、稽古から抜け出した先で「マリア様の心」が聞こえてくるのに気付いた祥子さまが、「なんでサファイアなのかしらね」と言うシーン。ここも祥子さま自体に問題はない。ただ、そのあとの祐巳が「祥子さまも同じこと思ってたんだ……」ってしつこく言い過ぎるのはどうだろう。原作は、祥子さまのその台詞に祐巳が何か言おうとしたけど祥子さまはさっさと行ってしまった、という描写になっていて、祐巳の心中は読者各位おもんばかってくれ、という形。そしてそこでシーンが終わるからこそ、読者には逆に印象を強くしている。こんなあざとくしなくたって、もう少しあっさりしていても通じるし、その方が気持ちいいはずだ。

 まぁ色々書いたけど、構成の若干の変更も含めた上で、アニメ版とは比べものにならないくらい、原作を尊重した良いメディアミックスではあると思います。不満はあるけど、泣いてしまったのもまた事実。でもそのくらい好きな作品だからこそ、ほんの少しの疵でも目についてしまうもの。黄薔薇革命以降のドラマCDも買う予定ですが、一番レベルの高いメディアミックスはやっぱり、マーガレットの漫画版で決まりみたいです。

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2004.05.13

APPLESEED/★★★

 単純にSFドラマとして見てしまえば、どうしても「古い」という感想が先に立ってしまう。そんな話だった。逆に映像だけを取り上げた場合、俺のような世代はどうしても「ゲーム」という体験に多分に感受性を規定されてしまっている。それもゲームハードの歴史に沿う形で、もっと言えば「FF8」と「ソフィーティアのケツ」によって、CGで出来ることの大枠を既に見せられてしまっている感がある。

 コーネリアを飛び回るアーウィンに「ポリゴン」という単語を学び、最後のボス、アンドルフで「テクスチャーマッピング」という概念に意表をつかれ、猛虎硬爬山でゲームの新しい可能性を感じ、ミシェールの太股で「グーローシェーディング」という技術に見入り、デュラルで「レイトレーシング」の威力に溜息をつき、ソフィーティアのケツにCGムービーの到達点を見、かと思って安心していたらジェットセットレディオに不意を打たれた我々ゲーム世代にとって、CGであることはなんら特別ではなくなっているのだ。

 実写が苦手とするのは、自由なカメラワークだ。最近16ミリのフィルムカメラから小型のデジカムに撮影方法を変えた映画もあるが、それにしたって小回りには限界があるし、そもそもクレーンワークでは辿り着けないカメラワークがある。例えば超俯瞰から次第に街の風景に寄っていってビルの窓に入り込みその通風口の格子の隙間を縫ってダクトに入り込む、などといったダイナミズムはCGムービーの専売特許である。

 アニメが苦手とするのは撮影角度の問題だ。人物のセル画に比べ、背景は動かないことが基本だから、さっきまで右から撮っていたアクションシーンを目の前に弾丸が来たところで一度留めてカメラを一回転させてもう一度動かす、ということは原則として出来ない。

 実写がアニメに対し優位なのはキャラの動きだ。もちろん金と時間をかければもののけ姫のようにバカみたいに動くアニメも作れるが、日本製のアニメは「リミテッドアニメ」と呼ばれ、例えばしゃべるときは顔の輪郭は動かずに口許「だけ」が動く(アメリカのアニメはよく見るとただしゃべるだけでも大袈裟に動きまくっている)。また、腕の立つアニメーターが描かないと人間の動き、体型等が不自然になってしまうため、熟練を要する仕事でもある。

 アニメが実写に対し優位なのは、現実に無いモノを描く時にかかる金額の違いだ。ジュラシックパークのように巨大恐竜マシンを作ったり実写とCGを合成させたりすると、それをしない映画に比べ制作費は格段に跳ね上がる。しかしアニメでは、サザエさんが散歩する様子を10秒描くセル枚数と、オッコトヌシが走り回る様を10秒描くセル枚数は原則として変わらない(もちろん絵の密度の問題で手間は違ってくるが)。

 CGムービーの利点は、これら全てなのだ。つまり背景も一度作ってしまえば実写なみにぐりぐり動かせるし、キャラクターもセル枚数などの制約なしにアクションさせられる。動きも実際のアクション俳優や格闘家からモーションキャプチャーできるから熟練のアニメーターなしでもかっこよくなる。カメラワークだって今まで有り得なかった斬新な映像がいくらでも作れるし、現実に存在しない風景だって監督がイメージ出来る限りいくらでも生み出せる。

 やれることが多くなったということは、やれることの最高到達点が上がったということ。つまり、100点満点で90点だったものでも、これからは200点満点で90点だと思わなければならなくなってしまいかねないということだ。

 その意味で、今回のこのアップルシードは、残念ながら80点を付けざるを得ない。もちろん200点満点で、だ。

 ゲームに於けるCGムービーの進歩は、映画のカメラワークの後追いをする形でなぜか進歩してきた。CGを使って「ヘリコプターで空中から撮ったような画」を作ったり、「車載カメラでカーチェイスを追ったような画」を作ることを目標としてきたフシがある。それはまだCGの表現力が低かった時代の悪しき因習ではないか。そしてアップルシードでも、残念ながらそれは散見された。俺たちが見たいのは、ハリウッドの特撮のような迫力のCGムービーではなく、ハリウッド映画ごときでは見たこともなかった新しい映像だ。

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2004.05.08

コミックマスターJ/第11巻/田畑由秋・余湖裕輝/★★★

 週刊少年チャンピオンでアクメツ連載中の田畑&余湖コンビの新刊。マイナー漫画なので概要から解説しますが、「コミックマスターJ」は月刊誌ヤングキングアワーズで連載中の漫画。コミックマスターJはスーパーアシスタント。あらゆるペンタッチを可能とし、必要とあらば作者の代わりに今週のストーリーから作ってしまう。しかも週刊20ページあげるのに3時間とかからない。ただし依頼料は一回500万。そして本当に面白い、魂を感じる漫画の手伝いしかしない。そんなJを中心に、漫画家、そして漫画界の悲喜こもごもを描く作品です。

 で、基本的には「何らかの理由で漫画が〆切までに描き上がらない」漫画家がいて、そのピンチに至るまでのドラマと、Jを呼ぶまで、そしてJがその漫画に魂を見るかどうか、魂がないとしたら、そこでJは漫画家にどんな一言を放つのか。そんなことが主軸となって語られる1話〜2話完結のお話。

 なんだけど、さすが11巻にもなるとただピンチの漫画家のアシをするだけでは物語が作れなくなってきてて、今回のテーマは「ブックオフ」「本屋の万引き」「声優と漫画家」「ネットゲームで原稿を遅らせる漫画家」と、どんどん邪道な感じの方向へ。まぁそれぞれに「新古書店が漫画家の権利を侵害している!」「しかし大衆がそれを支持する以上ブックオフは潰れない!」(さすがに作中ではブックオフではなく「ブックスガイ」になってます)とか、万引きで潰れた個人書店の店長が亡霊となって全国の漫画万引き少年に天誅を下して回る(アクメツ?)とか、結局漫画の中で都合のいい解決など提示できずに、我々に問題を突きつける形で終わるため、なかなか考えるところはある。(そういえば「バキ」の板垣恵介がチャンピオンの巻末コメントで「「バキ」を万引きして報道されてたキミ。編集部へTELくれ。話したい。」と書いていたことがありましたが、電話きたらどんな話をするつもりだったんでしょう。やっぱ直接会って鉄拳かな。)

 まぁ声優ネタは今の新人声優余りの状況を漫画家を交えて面白おかしく描いただけだし、ネットゲーについては「Jがネットゲー最強の戦士になっていて漫画家たちを倒して漫画を描かせる」というグダグダな話になってしまってますが。

 と、ここまで書いて何が言いたいのかというと、「クリエイターの魂、良い漫画を描きたいという情熱と、落とすわけにはいかないという作り手の意地が、本物の漫画を知り、誰よりも漫画を愛するJとぶつかった時、どんな熱い台詞が飛び出すのか」という、JをJたらしめている面白さのキモが、この巻にはほとんど見られない、ということ。もっと短く一言で言えば、「長く続けすぎて当初のテンションが落ちてきてる」ってこと。

 具体的に第何巻が、とかまで覚えてませんが、過去のJは余裕で四つ星付けられるくらい泣かせる話がいっぱいあったんですけどね。もうそろそろJの野望という本筋に話を収束させていかないと、尻すぼみで不完全燃焼のまま終わってしまいそう。潮時なのかなぁ。

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まっすぐにいこう。/第5話「吠えろ!源さん」/★★★

 前のシリーズは全4回をケーブルテレビで観たけど、今回は日本テレビで。

 いや、物語の骨子としては何ら目新しいことは無いんです。主人公(マメタロウ)の仲間(源さん)が「自分の努力でなんとか出来なくもないけどだいぶ辛い何らかの困難」(東京で飼われていた時のトラウマで、北海道に来た今も吠えることが出来ない)に見舞われていて、主人公の前で弱音を吐く。それに対して主人公は正義感で「じゃあ俺も頑張るからお前も頑張れ」(俺はフリスビードッグ大会で頑張って優勝するから、源さんも頑張って吠えられるように努力して)と言い、そのために努力し、挑戦するが、「惜しいところで敗退」(次を捕れば優勝、という状況で、優勝を逃す)する。主人公は仲間にそれを謝りに行くが、仲間は結果よりも過程を重視し主人公を褒める。主人公は悔しがるが、感じ入った仲間は最大限の努力、「見事困難を打破する」(マメタロウが東京に帰る直前にみんなの前で遠吠えをする)。

 そもそもが基本的には面白くなるはずの筋。でも骨子だけ抜き出せば、同じ筋で面白くてヒットしたものも、つまらなくて忘れられたものもいくらでもある。そこで何が違ったのか。単純な一般論で言えば「登場人物に感情移入させられるか否か」にかかってる。マメも源さんもいいやつで、まっすぐ。それを描いた作者含めて、悪意の感じられなさは、限りなくプラスに働いてる。ついでに北海道に来たマメが「源さんに会いたい」「源さんに会うのが一番の楽しみ」と繰り返し言っていることで、マメと源さんの友情も十分に印象付けている。

 でも今回一番のポイントは、「じゃあ俺頑張るよ」と言って源さんの前を去ったマメの元に現れた飼い主「郁ちゃん」の「なんだか急に一番とりたくなっちゃった」と言うシーン。飼い犬の気持ちを、言葉も通じない、しかも離れた場所にいた飼い主がしっかりと受け取っていた、というギミック。このシーンで一番の「正解」はまさにこれだろう。理想の結末に向けて、マメが態度で示して郁ちゃんがそれに気付いて、という作業があったっていい。でももっと理想的なのは言葉を使わず気持ちが伝わっていること。それが一番みんなが幸せになる。「正解」である以上お約束で予定調和なのは免れないが、そんなそしり以上の感動が確かに生まれている。こういう真正面から「いい」話、一回書いておかないとなぁ。

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2004.05.04

新世紀エヴァンゲリオン鋼鉄のガールフレンド2nd 1巻/林ふみの/★★★

 もう少し悪ノリの過ぎた感じなのかと思ってたら、意外と少女漫画としてまとまっていて驚いた。シンジは優柔不断で押しの弱い性格はそのままだけど、父親との自らの存在を賭けるほどの対立がないぶん、素直でかわいい感じ。アスカも性格はそのままながら、母親の自殺とか早く自立しなければならないという強迫観念みたいなものが消えて「素直になれない恋心」みたいなものが表面に出てるからそのぶん好感が持てる。綾波だけはアニメとはガラリと変わって、というよりアニメ最終回でパンをくわえて曲がり角でシンジとぶつかった、あの明るく楽しくちょっと生意気な綾波。

 キャラ設定だけで言えば、エヴァをエヴァらしくしていた全てがこそげ落ちて、それこそオタク女が妄想で描いた同人誌みたいな状況になっている。ではなぜこの作品が三ツ星かといえば、この物語が変に原作に縛られずに、このキャラクターたちを使った新しい物語として一から破綻なく構成し直されているから。いつもハキハキ愛想良くしているけれど、いつも影に淋しさを抱えている綾波の、たまにシンジにだけぽろっと見せる淋しげな笑顔とか、それに対して「男子に媚びを売ってる」と評価するアスカの苛立ちが、実はシンジに無遠慮に近付いていく行為の方によってこそ生じていることに気付き始める過程とか、丁寧に少女漫画として作り直されている。

 それでいて、「わたし、一人だから」と微笑む綾波の出生の秘密とか、光の巨人の夢を見るシンジだとか、その話を聞いて「アダム……」と呟く謎だらけのカヲルくんだとか、エヴァらしい謎の配置もきちんとされている。キャラクター同士の恋模様としても、エヴァに絡む大きなストーリーとしても、素直に「続きが読みたい」と思わせてくれる。「エヴァだししょうがないから付き合うか」と思って買ったけど、今後に期待してもいいのかも。

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2004.05.02

1,000,000 MONSTERS ATTACK/SOUL'd OUT/★★★

 SOUL'd OUT(ソウルドアウト)、略してSOの5枚目のシングル、ミリオンモンスターズアタック。やっぱりメロディメイカーの才能はあるなぁ。1stシングル「ウェカピポ」(wake up, peopleの意)では「荒 荒 荒波立つ ここはURBANNITE ウェカピポ!」とか、2nd「Flyte Tyme」では「WA ! シュビドゥビドゥバ FEEL ME TONIGHT」とか、3rd「Dream Drive」では「夢描いてFOR REAL LA-LI-LA-LI-LA JUST DO IT TIGHT」などなど、サビに繰り返しを多用するのが彼らの手法。(ちなみにこの繰り返しがほぼ使われていない4th「Love, peace & Soul」は今までで一番売れてなかったりします。
 今作でも当然使われてますね。イントロ・アウトロに「アッ オゥ アッ オゥ アッ オゥ アッ アッ アッ オゥ」とか、サビに「DE-VE-DE-VE-DE, DE-VE-DE-VE-DE」とか、今まで以上に繰り返しが使われてる。単純に気持ちいい、ってこと分かってるんだよなぁ。きっとそれは長年のステージ経験で。そしてこれまでで一番のセールスを記録してます。

 ついでに歌詞の話。要約すれば「焦って成功しようとすんな、充実した毎日送って色んな経験してそれを糧にすれば俺らみてーに無限のエンターテイメントが生み出せるぜFellaz!」って感じ。サビにも「creativity」(創造性)って単語がありますね。珍しく作り手に向けた曲。裏を返せば、自分たちは作り手としてサクセスしたから、お前らもついてこいよ的な自信の表れとも言えるわけです。へー。タイトルにある「モンスターズ」ってのは、そうして出てくる才能を持った数多のニューカマーのことなのか、そのニューカマー一人一人の脳内にいつの日か湧いてくる無限のcreativityのことなのか。あ、ちなみにFellazはfellowsのことです。「仲間たち」とかそんな感じ。HIP-HOP用語ですね。4Uと書いてfor youと読ませるようなもんです。はいはい、カッコイイカッコイイ。

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2004.04.26

DANZEN!ふたりはプリキュア/★★★

 ♪どろろんろん どろろんろん、ってこの曲の入りどこかで聴いたことがある気がするんですが気のせいですかそうですか。テレ朝のこの枠のオープニングは、カラオケでアニヲタ(♂)が立ち上がって熱唱するというシチュエーションも想定した上で曲作りをして欲しいと切に望みます。事ある毎に「Dance! おジャ魔女」をリクエストされるこっちの身にもなって下さい。「ぷりっきゅあ〜♪」とか叫びたくねぇよ!(←全て褒め言葉ですので、念のため)

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2004.04.19

新世紀エヴァンゲリオン第9巻/★★★

 カヲル君、君が何を言ってるのかたまに分からないよ!(元ネタ)って感じで、アニメ版とのカヲルの性格の違いにびっくり。でも、この違いの理由こそ貞本エヴァが描きたいことの核心なのだろう。10巻以降に注目。040419003040.jpg

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2004.04.06

夜回り先生/★★★

 こういうノンフィクションに点数を付けるのもどうかと思いましたが、とりあえず。横浜の定時制高校で教師をするかたわら、授業の後は池袋、新宿、横浜等々、繁華街の夜を歩いて回っては、夜の街にいる中高生に声をかけているという水谷先生。学校の生徒だけでなく、夜の街で会った子どもたちを全員自分の「生徒」と呼び、悩みを聞いたり家庭環境を聞いたら、そのまま家に行ったり、あとで電話したりと定期的なアフターケアも怠らない。「暴力団を抜けたい」と言われたら、単身組事務所まで乗り込んで話を付けに行く。そんな「夜回り先生」の生い立ち、夜回りを始めるまで、そして夜回りのエピソード。

 って概要を書くとものすごく面白そうなんですが、実際の本文もホントにほとんど概要でした。エピソード密度として、ホントにこの上記の文章に毛が生えたくらいしかない。そりゃあんまり生徒の個人情報書いたら身元が割れちゃうとか問題はあるでしょうが、もうちょっと細かいディティールまで知りたいというのが人情。リアリティという意味でもエンターテイメント性という意味でも、神は細部に宿るという言葉を再確認させられてしまいました。それがもう少し濃ければ四つ星だったんですけどね。残念。そういう期待無しで素直に読めば、泣けます。

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2004.03.28

デビルマン/★★★

 デビルマンを少しでも知っているなら、あるいはデビルマンをアニメでしか知らないなら、是非読んでおくべき。「デッビール!」のイメージが完全に覆されました。講談社漫画文庫で全5巻。

 主人公不動明は久々に再会した親友飛鳥了に呼ばれ、デーモンの復活が迫っていること、悪魔と合体し、デビルマンとしてそれに立ち向かうしかないことを伝えられる。儀式を終えデビルマンとなった明が悪魔を引き裂いていく姿にしかし、了は恐ろしいモノを生み出してしまったと部屋の隅で震えていた……

 ってここまでの序盤200ページくらいは、古き良き昭和の漫画って感じで正直退屈だったんですが、有名なライバル・妖鳥シレーヌ(半裸)が登場し、デビルマンとしての戦いが描かれ始めてからは徐々に物語はヒートアップ。テレポートにより世界の要人と次々合体し、世界を混乱させていくデーモンたち。次々に変わっていく状況に、それでもがむしゃらに立ち向かうデビルマン。それを後ろから見ているクールでミステリアスな親友飛鳥了。

 やがてデーモンの無差別な合体能力を恐れた人間たちは、隣人が悪魔ではないかと疑心暗鬼に陥り……その先に何が待っているのかは書きませんが、とにかく次第に悲壮さを増して盛り上がっていくストーリーにぐいぐい引っ張られていきました。そこに横たわる、悲しさ、そして美しさ。永井豪、正直見くびってました。

 このくらい「大変なことになる」物語、俺も書きたいなぁ。実力も伴わないのに大風呂敷を広げすぎると悲惨な結果になる、というのは痛いほど知ってるから、なかなか踏み出せないでいたり。

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Taxi 2/★★★

 リュック・ベッソン監督の痛快カーアクション第二弾。無茶するなぁ。面白かったよ。全編同じくらいにずっと面白かった。裏を返せば、シナリオ作りの戦略としての「山場」「見せ場」みたいなものがどこだったのかは分からなかったり、展開(ストーリーもシーン展開も)が常にめまぐるしいために誰が敵で誰が味方で誰がどこにいて誰がどの車に乗ってるのか分からなかったりもした。難しいこと考えずに酒飲んで観るべき映画。
 ラスト近くのカーチェイスでパトカーが山のようにお釈迦になってくのは、見てて勿体なかった。ところで一つ軽いツッコミですけど、VIPを乗せたタクシーを警察署に突っ込ませたなら、そこでじっとしてれば犯罪者たちはもうそこまでは追ってこないんじゃ?

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2004.03.24

蹴りたい背中/★★★

 さすがにお歴々の眼鏡にかなった芥川賞受賞作。高校一年生同士の関係を描きながら、確かに人間と人間のある一つの関係の形を提出している。だけど。これと似たような作品なら、俺は早稲田でも日芸でも、少なくとも片手に余る数は見てきたように思う。日本語の格式に縛られない、第二次言文一致体。自分の周囲にある世界だけをディティールだらけで巧みに描く世界観。妙に耳年増な頭でっかちのセックス描写の代わりに「蹴りたい背中」というモチーフが全編を貫いていることが、土壇場で他の有象無象と一線を画している。後は別の機会に。

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2004.03.06

鋼の錬金術師/★★★

 原作は未読でアニメから入ったから、最近までなんでこんなにウケてるのか分からなかったんだが、最近ようやく熱くなってきた。基本的に悪役の動機に感情移入できる物語は好み。但し、どうにも「答えの出ない問い」という手にした作劇の方法論をむやみやたらにバラまいてる感じは否めないが。
 それと関連して、この広がりすぎた物語をどう着地させるのかには興味があるが、それ以上にまだ完結してない月刊マンガを毎週アニメ化して、アニメシリーズとしてのオチをどうつけられるのか。お互いに不幸な結果にならないことを祈る。

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2004.02.27

ロボこみ/第16 話「ブラックキャット」/★★★

 マンガ史に残る傑作では決してないと思うんだけど、最近何故かロボこみが面白くてたまらない。全てのギャグが予測範囲内と言ってしまえばそれまでなんだが、その丁寧さはある意味で既にして古典。
 ギャグとコメディに差があるとして、その差が「破壊力」と「起承転結」の違いだとするなら、ロボこみはその両者が絶妙のバランスで成り立っている。コマ割りも普通で絵柄にも新味はないが、ネタと同じく丁寧に、女の子もかわいく描けている。
 最後に感じるのが悪意のなさ。丁寧さ、一生懸命さ、あるいはへりくだり方、と言い換えてもいいかもしれない。余裕のなさ、とは似て非なるもの。つんくの対極にあるもの。俺自身の創作の目指す場所。この問題については、長く考えていくことになりそうだ。

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2004.02.22

週刊少年チャンピオンNo.12/★★★

 今週言いたいことは二つだけ。サムライジと曲芸家族、最近勢いのある新連載二つで同時に尺八ネタがかぶったのはチャンピオンという「少年誌」としてどうだろう。あと祝・円の乳首解禁。この調子でサムライジも乳首ケチるな。どうせチャンピオンなんだから。

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2004.02.19

マリア様がみてる/第7話「びっくりチョコレート・前編」/★★★

 原作読んだ時点では特に印象には残らなかったエピソードだったんだけど、こうしてアニメになってみて今までで一番の出来だった。話が面白いかどうかとアニメの作品としての出来は全くの別物ということか。
 何が今までと違ったかといえば、間の取り方に集約されるんだろう。人間、適切に感動するためには相応の時間が必要だということ。あと平均的に作画は良かった。
 にしてもこれほど「端折り過ぎ」だのなんだの、原作との進行ペースの違い云々について騒がれるアニメも珍しい。心理描写を重んじる少女小説という原作ゆえか。

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2004.02.18

まっすぐにいこう。/★★★

コーラス連載。全四話。雑種犬「マメタロウ」とご主人の郁ちゃん、仲間の犬たちが繰り広げる日常を描いたハートフルコメディ。普段なら反吐が出るような首尾範囲外のアニメなんだけど、これが意外に面白かった。年取ったせいなのかなんなのか、こういう例えば「万引き少年がホントはいい子で犬のちょっとした活躍で本心を白状して、店員も実は悪そうに見えていいヤツでお咎めナシで許してしまう」っていう分かりやすい予定調和を「いい」と思うようになったってのが一つ。もう一つ単純に演出の見せ方が良くてギャグに悪意がなくしかも笑える、という理屈でなくスキルの問題としてのセンスの良さはある。最後の一つは、主人公が「犬」であるということを最大限に活かして、それっぽいコミュニティがあったり、雑種であることを彼女(犬)の花子ちゃんに告白出来なかったり、他にも犬だから手足が使えなくてケータイを口でくわえてたりなんていう細かいところまで、「犬」さを作品の個性としていること。これは例えばHUNTERxHUNTERのキャラが念能力者だったり、マリみてのリリアン女学園にスール制度があったりするような「ルールの面白さ」に近い。例えそれが「犬」なんてありふれたものであっても、それを突き詰めれば十分魅力的な個性にすることが出来る、というのは見習うべき点だ。


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2004.02.16

L’Arc~en~Ciel/READY STEADY GO/★★★

非常に良く出来たアニメソング。そうとしか言いようがない。まだラルクがこれを書けたということが嬉しくて堪らない。格好いいだけで何も言っていない、究極に抽象的な歌詞も◎。メロディもガチガチに格好いいし、これを本気で歌っているhydeにも萌え。やっぱりオタクにウケるものはオタクにしか作れないんだなぁ。メンバーがガンオタなのは有名な話。

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