2004.12.10

わたしのグランパ/★★★

 BS2でやっていたものを観た。原作は筒井康隆の同名小説、監督・脚本は東陽一、主演の「グランパ」役は菅原文太、ヒロインである孫「珠子」役は、ポッキーのCMでおなじみ石原さとみ。2003年。

 中学一年生の珠子はいじめられていた同級生のマチ子を助けたために不良グループに目を付けられてしまう。時期を同じくして、殺人の罪で服役していた珠子の祖父が出所する。最初は距離を置いていた珠子だが、道端でたむろしていた不良グループを退治してくれたことをきっかけに祖父に好意を見せるようになる。が、楽しい日々もつかの間、ヤクザが周囲をうろつき始める。グランパは彼らに家を放火され殺された親友の仇をとるためにヤクザの事務所に殴り込み、そこで二人の下っ端ヤクザを殺してしまったのだ、とグランマから聞かされる珠子。ある日復讐のために誘拐された珠子を、グランパは手下を従え自動小銃を持って助けに来る。無事救出に成功したが、そのあとすぐ、川で溺れていた少女を助けるために飛び込み、引き替えに命を落としてしまう。男気を貫き通したグランパの葬儀には、クラスのいじめっ子も、退治された不良グループも、敵だったヤクザも、焼香をあげに来ていた――

 物語だけを取れば、筒井らしくもないほど実験性にも超常性にも欠ける優等生的な話(といっても原作は読んでいないのでひょっとしたら原作はもっと面白いのかもしれないが)。あとはもう、主役の菅原文太と石原さとみがどれだけ演技で見せてくれるか。ホントのことを言えばポッキーのポスターの石原さとみがやたらツボに入ったので観た映画だったんだが、二人ともホントにハマり役。

 文太さんが名優なのは言わずもがなだが、饒舌でありながらシャイで、無口でありながら雄弁、真面目でありながら飄々として、そして強く、正しく、ダンディ、という、あまりにもおいしいグランパのキャラを見事に演じきっていた。このキャラ、俺の歳じゃ書けないんだろうなぁ。欲しい。筒井先生、もらっちゃダメですか。

 対する石原さとみも、子役と女優の中間年齢、という一番鼻につきやすい年頃でありながら、真に迫った熱演を見せていた。顔はもちろん好みなんだけど、女優としても面白い、ということが分かったという意味で、収穫だったと言っていい。途中いじめっ子を相手にいきなりドスのきいた声で啖呵を切るシーンなんか、なかなか良かった。ヤクザに監禁されて椅子にガムテープで巻かれてるところで若いヤクザに身体をまさぐられそうになるシーンなんて、この歳で女優魂を見た、って感じ。全体に、演技臭くなく自然体なままでの少女らしい感情の振れ幅が心地よく見ていられた。

 ところで。主役二人の演技は良かったんだが、ストーリーとして、最後にその若いヤクザに触られそうになるところで、突然珠子の身体が椅子ごと起き上がっていくところがある。ヤクザは一人うろたえるだけで、それからカメラがひいていって、気が付くと珠子は椅子ごと宙に浮いている。理由は分からない。一番ぴったりくるのは、「珠子は実は超能力者でした」という解釈なのだが、そこ以外に珠子もそれ以外の人物も超能力など片鱗も見せてはおらず、あのシーンにはただ失笑以外出てこなかった。

 ラスト、グランパが死んだ、というくだりも、「川沿いを散歩するグランパ」「助けてー、と子どもの声」「シーンが替わって公園で写生している珠子(美術部)」という展開から、「あ、死んだのかな」という予感はあったものの、そこで死なせることの突拍子もなさに、感動もしようがない、というのが正直な感想だった。

 グランパのキャラの良さを印象付けて終わるためにまぁ死なせようというのはよくある手ではあるけれど、あるいは突拍子もないならばもうジョークの空気を漂わせて、珠子を救出して笑ってるグランパのアップがそのまま遺影に重なってお鈴が「ちーん」、みたいなのが常套手段として例えばある。そうすれば、「死んだ」ということを単純にそれ自体お涙ちょうだいの道具にするのではなく、「死んじゃったね」「そうだね」という乾いた空気の中で終わることが出来る。観客が自分の力でその「死」を噛み砕くだけの「間」が生まれることになるわけだ。客が涙を流すほど存分に悲しませられないのなら、中途半端な悲しみの演出(ショックを受ける珠子、悲しそうな絵、悲しそうな音楽の中の葬儀、悲しそうな参列者、一周忌の日に悲しんでいる珠子)などクサイだけだ。

 21世紀の今、ものを作るということは、「クサくなる」ということを巡ってどのように自分の立ち位置を決定するか、ということである。完全にクサいことを目指し「これはクサイ」と言われることで成立する作品群もあり、クサさを極力廃したハードボイルド的な作品群もある。しかしハードボイルドを標榜すること自体に生じるクサ味を気付いていない作り手と、それをどうやって消すかに細心の注意を払う作り手では明らかにレベルが違う。

 最後の最後で終わり損ねた映画。キャラが良かっただけに、もったいない。死なせなくていいと思ったんだけどなぁ。

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2004.12.04

華氏911/★★★

 レンタルビデオで借りて観ました。ちなみに一緒に見た大学の後輩(理系♂)は「意外と普通のドキュメンタリーだった」と言ってましたが、なかなかどうしてそこかしこに編集の妙があって、笑えるところは十分笑えました。それに、「この中で言われていることが全て事実だとして」かなり驚くような事実もありましたし。観て思ったことは、「とりあえず成人したアメリカ国民は全員これ観なきゃダメだな」ということ。

 ところで。じゃあこれを観た俺は、いったいどうすればいいのか。もっと単純に「どんな気分になればいいのか」と言われれば、「やっぱりブッシュが大統領はどう考えてもおかしいだろ」ということなんですが、だったらそれを知った俺はどうするのかって、どうすることも出来ないわけで。まぁそんなこと言ったら全ての映画はそうじゃないか、と言われそうですが、しかしこれはノンフィクションなわけで。

 例えば新潟で地震が起きた、というのを聞いたら、直接的には「じゃあ募金しよう」「ボランティアに行こう」だとか、「我が家が地震に襲われてもいいように非常食をそろえとこう」「応急手当の仕方を覚えよう」とか思えるわけで。「巨人がマジック1です」と言われたら、優勝が決まるであろうドームのチケットを取ってヤフオクで売ればいいわけで。小泉さんが「総理大臣として靖国神社を参拝しに来ました」と言ってたのを聞いたら、最終的には「じゃあ俺は次の選挙では民主党に票を入れよう」と思えばいいわけで。

 だけど、ブッシュがアメリカをどこに導こうとも、俺たちには手出しすることが出来ない。なのにそんな日本でさえこれだけヒットしたのは、結局(事の是非は抜きにして)事実上アメリカが世界のリーダーである、ということを日本人もちゃんと思ってしまっている、ということなんだろう。そして恐らくこれを観た人の9割以上は、「ブッシュダメじゃん」と思い、たぶんその半分以上は、「アメリカ人てなんでこんなブッシュなんか選んでんの?」という気分になったはずで。そのさらに半分は、「アメリカ人は自分たちが悪に打ち克つ正義の中心なんだと思いたいんだろうなぁ」と、何度も言われ続けたアメリカ人の心性を思い返しただろう。

 そして結局俺のようないち物書き志望者に出来ることは、日本人に生まれたことを改めて喜び直しつつ、日本的な心の良さを噛みしめて、それを描く小説を書いていくことだったりするのかなぁ、と。

 どこまでいってもアメリカ人は日本人にとっては他者で、他者との差異は自己を見詰め直す絶好の契機になる、という、なんだか奇妙に抽象的な感想だけが残った、そんな映画でした。

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2004.11.28

座頭市/★★★

 この映画を見終わったあとの気分を、どう表現していいのかさっぱり分からない、というのが正直な感想。退屈だったか、といえばそうではなかったと言っていいが、ではスリリングだったか、といえばそうでもなく。感動はあったかといえばそんなものはなかったし、爆笑はあったかといえば、せいぜいクスリ、といった程度。たけし演ずる「按摩さん」が、実は目が見えた、というどんでん返しも、「あ、そうくるのか」というある程度の驚きはあったものの、それだけ。それが物語上何にも影響していない以上、ただ「ふーん」としか言いようがない。

 ただ言えたのは、酒屋での浅野忠信とたけしのファーストコンタクトは、死ぬほどかっこよかったということ。日本的なハードボイルドの美学は、身震いするほどではあった。そして、有名になりすぎたタップシーンはどうでもいいが、その前にあった、例えば焼け落ちた家の再建の際の大工たちの奏でるパーカッションや、オープニング直後の百姓たちの鍬の音のセッション。楽しさという意味では、間違いなく「楽しかった」と言っていいシーンではある。

 でも結局。シーン、シーン、シーン、どこまでいってもシーンの良さであり、それが絶望的に物語に結び付いていないところに、僕が受け取れる感動の限界もまたあった。こういう、なにがしかの美学、あるいは新しさ、あるいは感情のようなものをただ作品の中で提出することを目的とした作品を、僕は「提出の野望」と呼ぶが、そのためにはあまりにも冗長であった、というのが端的な感想。提出の野望を文学に昇華できるのは、せいぜい50枚以内の短編小説だ、というのが僕の持論だ。

 同じ北野作品なら、僕はHANABIをオススメする。

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2004.05.25

マルコヴィッチの穴/★★★★

ストーリー
 路上で人形劇をしているダメ男クレイグは、ある日妻ロッテの薦めで普通の会社で働くことに。ところが新聞広告で見付けた先は「7と1/2階」にある天井が低い不思議なオフィス。ある日ひょんなことから書類棚の後ろに隠れていた扉を発見したクレイグは、奥に続く狭い洞窟へと這入る。突然穴の先に吸い込まれ、クレイグの目の前には知らない風景。身体の自由がきかない。鏡を見ると、その男は俳優のジョン・マルコヴィッチだった。その後きっかり15分で近くのハイウェイの脇の草むらに落ちてくるクレイグ。職場で知り合った美女マキシンに打ち明け、二人でこれを1回200ドルの商売にすることに。ところがこれを一回試してみた妻が、男の身体に入ることに妙な興奮を感じ始め……?

 なんだこれは。映画を観た第一印象でした。まずはクレイグのやる人形劇が馬鹿。メディア的には子どもウケして当然のもののはずなのに、やってる芝居は「淫乱シスター妄想の祈り」みたいなエロ話。人形のクセに腰の動きが妙に切なそうなの。で結局子どもの親にぶん殴られるってのがもう完璧にダメで馬鹿。その後主人公は就職口を見付けるわけですが、妙に背の低いビルで大してそのことを不満にも思わず真面目に働いているヤツらが素晴らしく馬鹿馬鹿しい。どう見てもおかしいことを大まじめにやる。これぞ馬鹿の伝統芸。

 で。マルコヴィッチの脳に入ってマルコヴィッチとして世界を見る、という経験は最初は「なんだこれは」ってことになるんだけど、せいぜい2回もやればもうそれ自体のインパクトはなくなってきて、このあとどんな展開になるのかに興味がいくんだが、ここで妻が「実は私、性倒錯者だったみたい」要するに自分の性的な中身は女性でなく男性だって言うわけだ。もともと人形劇以外に働く気もないダメ男が、それでも愛してくれてたはずの奥さんに見捨てられる。もうさらにダメ。こういう馬鹿映画なら、ダメなヤツはいっそすがすがしくダメな方がいい。

 でその男としての奥さんの恋の相手は、クレイグが見付けた職場の美人、マキシン。一組の夫婦が一人の美女を取り合う三角関係なんて、俺の小説のネタ帳に「こんなの誰も思い付かねぇ」と思いながら昔書き付けたネタですよ。遅かったか! まぁ俺が書いてここまで面白く出来たかというとアレなんですが。でマキシンはマルコヴィッチを電話で誘い出し、ロッテが中に入っているタイミングを見計らってまんまとセックスまでしてしまう。

 一つのキーになる独特な舞台設定があれば、それを100%、120%活かすようにとだけ考えて筋を立てるだけで、最初から「奇抜なストーリーを」とだけ考えて書くよりもよっぽど個性的な筋になる、ということのいい見本ですね。でりくりで俺が何故かよくプッシュしてる「まっすぐにいこう」だって、「犬と飼い主の関係」を描いただけのお話なら今までもあったけど、そこに「その犬たちがしゃべる」というギミックが入っただけで、関係性が何倍も鮮やかになり、ヤツらの台詞の「犬らしさ」を追求していることがいいギャグになっていく。

 もう一つ特筆したいのは、「マルコヴィッチがマルコヴィッチの穴に入ったらどうなるか」という観客の当然の疑問に真っ正面から答えてくれているということ。例えば冒頭でお姫様がさらわれる話なら、お姫様は最後に主人公に助けられなきゃ嘘ですよね。ルパン三世だったら、最初に紹介されたお宝は必ずルパンに盗まれる。それと同じ次元で、マルコヴィッチはこの場合マルコヴィッチの穴に入らなければならない。こういう部分を外してしまってはエンターテイメントとして失格です。

 で、どうなるかといえば、マルコヴィッチが穴に入っていった以上現実世界にマルコヴィッチはいなくなるわけで、そこに展開されるのはマルコヴィッチの深層心理。中の上くらいのレストランなんだけど、目の前に座っている巨乳美女がマルコヴィッチ(スキンヘッド)。なんだこれ、と思ったらウェイターもマルコヴィッチ(ハゲ)、隣の客も夫婦そろってマルコヴィッチ(ハゲ)、ついでにその子どもも顔だけマルコヴィッチ(ハゲ)。ウェイターは「ご注文は?」の口調でなぜか「マルコヴィッチ?」と言い、目の前の巨乳美女は「ええ、お願いするわ」の口調で「マルコヴィッチ」。メニューを見れば全てのメニューが「マルコヴィッチ」、店内の全員が口々に「マルコヴィッチ」、たまらずに叫んだ自分の声も「マルコヴィッチ!」近年まれに見る馬鹿笑いをしてしまいました。予想も付かなかった馬鹿さ加減。考え得る最高のオチですよ(←オチ?)。

 ストーリーはそのあと、マルコヴィッチの穴の核心に触れ、少しだけシリアスになっていきますが、そんなものは映画をかろうじて映画たらしめるためだけの、蛇足とまでは言わないがまぁ形だけのもの。あとは本筋と関係ないところで笑ったのが、余りにも豪華なチョイ役たち。チャーリー・シーン、ショーン・ペン、あと俺の目が確かならブラッド・ピットも確かいました。みんな馬鹿が好きなんだなぁ。個人的な感想としては、三谷幸喜でありながらドリフ、みたいな感じ。久々の大ヒットでした。

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2004.05.13

APPLESEED/★★★

 単純にSFドラマとして見てしまえば、どうしても「古い」という感想が先に立ってしまう。そんな話だった。逆に映像だけを取り上げた場合、俺のような世代はどうしても「ゲーム」という体験に多分に感受性を規定されてしまっている。それもゲームハードの歴史に沿う形で、もっと言えば「FF8」と「ソフィーティアのケツ」によって、CGで出来ることの大枠を既に見せられてしまっている感がある。

 コーネリアを飛び回るアーウィンに「ポリゴン」という単語を学び、最後のボス、アンドルフで「テクスチャーマッピング」という概念に意表をつかれ、猛虎硬爬山でゲームの新しい可能性を感じ、ミシェールの太股で「グーローシェーディング」という技術に見入り、デュラルで「レイトレーシング」の威力に溜息をつき、ソフィーティアのケツにCGムービーの到達点を見、かと思って安心していたらジェットセットレディオに不意を打たれた我々ゲーム世代にとって、CGであることはなんら特別ではなくなっているのだ。

 実写が苦手とするのは、自由なカメラワークだ。最近16ミリのフィルムカメラから小型のデジカムに撮影方法を変えた映画もあるが、それにしたって小回りには限界があるし、そもそもクレーンワークでは辿り着けないカメラワークがある。例えば超俯瞰から次第に街の風景に寄っていってビルの窓に入り込みその通風口の格子の隙間を縫ってダクトに入り込む、などといったダイナミズムはCGムービーの専売特許である。

 アニメが苦手とするのは撮影角度の問題だ。人物のセル画に比べ、背景は動かないことが基本だから、さっきまで右から撮っていたアクションシーンを目の前に弾丸が来たところで一度留めてカメラを一回転させてもう一度動かす、ということは原則として出来ない。

 実写がアニメに対し優位なのはキャラの動きだ。もちろん金と時間をかければもののけ姫のようにバカみたいに動くアニメも作れるが、日本製のアニメは「リミテッドアニメ」と呼ばれ、例えばしゃべるときは顔の輪郭は動かずに口許「だけ」が動く(アメリカのアニメはよく見るとただしゃべるだけでも大袈裟に動きまくっている)。また、腕の立つアニメーターが描かないと人間の動き、体型等が不自然になってしまうため、熟練を要する仕事でもある。

 アニメが実写に対し優位なのは、現実に無いモノを描く時にかかる金額の違いだ。ジュラシックパークのように巨大恐竜マシンを作ったり実写とCGを合成させたりすると、それをしない映画に比べ制作費は格段に跳ね上がる。しかしアニメでは、サザエさんが散歩する様子を10秒描くセル枚数と、オッコトヌシが走り回る様を10秒描くセル枚数は原則として変わらない(もちろん絵の密度の問題で手間は違ってくるが)。

 CGムービーの利点は、これら全てなのだ。つまり背景も一度作ってしまえば実写なみにぐりぐり動かせるし、キャラクターもセル枚数などの制約なしにアクションさせられる。動きも実際のアクション俳優や格闘家からモーションキャプチャーできるから熟練のアニメーターなしでもかっこよくなる。カメラワークだって今まで有り得なかった斬新な映像がいくらでも作れるし、現実に存在しない風景だって監督がイメージ出来る限りいくらでも生み出せる。

 やれることが多くなったということは、やれることの最高到達点が上がったということ。つまり、100点満点で90点だったものでも、これからは200点満点で90点だと思わなければならなくなってしまいかねないということだ。

 その意味で、今回のこのアップルシードは、残念ながら80点を付けざるを得ない。もちろん200点満点で、だ。

 ゲームに於けるCGムービーの進歩は、映画のカメラワークの後追いをする形でなぜか進歩してきた。CGを使って「ヘリコプターで空中から撮ったような画」を作ったり、「車載カメラでカーチェイスを追ったような画」を作ることを目標としてきたフシがある。それはまだCGの表現力が低かった時代の悪しき因習ではないか。そしてアップルシードでも、残念ながらそれは散見された。俺たちが見たいのは、ハリウッドの特撮のような迫力のCGムービーではなく、ハリウッド映画ごときでは見たこともなかった新しい映像だ。

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2004.03.28

Taxi 2/★★★

 リュック・ベッソン監督の痛快カーアクション第二弾。無茶するなぁ。面白かったよ。全編同じくらいにずっと面白かった。裏を返せば、シナリオ作りの戦略としての「山場」「見せ場」みたいなものがどこだったのかは分からなかったり、展開(ストーリーもシーン展開も)が常にめまぐるしいために誰が敵で誰が味方で誰がどこにいて誰がどの車に乗ってるのか分からなかったりもした。難しいこと考えずに酒飲んで観るべき映画。
 ラスト近くのカーチェイスでパトカーが山のようにお釈迦になってくのは、見てて勿体なかった。ところで一つ軽いツッコミですけど、VIPを乗せたタクシーを警察署に突っ込ませたなら、そこでじっとしてれば犯罪者たちはもうそこまでは追ってこないんじゃ?

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2004.02.14

少林サッカー/★★★★

突然主人公が歌い始めて、そこに周りのヤツらが次々のっていくシーンにだいぶハマった。そのままそんなノリでいくのかと思ったら、全然違ってちょっとがっかり。でもそのあと少林寺時代の兄さんたちが「帰ってきた」あとは最後まで引き込まれっぱなしだった。一つ一つのシーンのインパクトを「ここ!」「これ!」と一つ一つ確実に決めてくれるから、テンポよくのめり込んでいけるんだろう。全裸キーパー最高。

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